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           ひとり言




おやじが世の中の不満を綴った、くだらないページです。 笑って下さい。   



ワクチン接種      2021,6

コロナ緊急事態宣言の中、オリンピックが行われようとしています。国民皆が本気になってオリンピックを開催しようと思っていたならば、もっと国民が一丸となった行動を取っていたならば感染者数がもっと少ないのではないかと思います。今の時代は、何か問題があるとすぐに中止とか、反対とか取りやめの方向に動こうとする。はたして、それでいいのか?すぐに反対とか中止とか言っていたならば何も前向きに考えられない、どうすれば良いか、例えばワクチン接種を終えた人は居酒屋に入店できますよ、夜11時まで飲んでいても構いませんよ、映画館に入れますよと、公共性の高いものにワクチン接種有無の制限をしたらいけないけど、個人が選択できる範囲の事ならば構わないのではないかと思います。あくまでも個人の選択の範囲です。接種を受けるも受けないも個人の自由です。強制することはできません、あくまでも個人の判断で責任をもって行っているのですから。国が未接種者を変に擁護する必要もないわけです。ワクチン接種をしない人が差別をされるといけないから、制限を付けると未接種者からクレームが付くから制限を設けない、そのような事で、本気で国は感染防止を考えているのかな?国が出来ないのなら、民間の力で、お店側はワクチン接種をした人のみの入店OK 、お店を選択するのもお客の自由、お客を選別するのもお店の自由です。国は感染防止を理由に、酒の提供をしている店は税金で休業補償、いいよなー ・・・・ 売れなくて苦しいのは飲食店だけじゃないんだよ。


団体戦と個人戦 2021,5

個人が5人(7人、9人)で1チーム、半分以上の勝ち数、本数を取れば勝ち、只、それだけの目的の戦いだろうか?
団体とは仲間に迷惑をかけないために頑張る、日常の努力を怠っている人が試合に負けまいと一生懸命に頑張る、そのような人を仲間が勝っても負けても仲間と納得をするだろうか?
寄せ集めの仲間でも団体戦は戦える、団体とは国であり、学校であり、部活動の仲間であり、しいては家族である。要するに集団である。自分以外の人に迷惑をかけない、人を愛する心を持ち、助け合う事ではないでしょうか。団体戦とは一つの目的をもった仲間がそれに向けて頑張る、皆で頑張ったのだから勝ち負けの結果は皆で共有できる。ところが勝手な行動で皆と歩調を合わせずに負けたら、その負けはその人個人に責任がある。つまり団体に迷惑を掛けている事になる。団体戦はそのような事を知ってもらう為にあるのではないでしょうか。

平等について

私はある小学校の運動会で可愛い子供たちが一生懸命に走る徒競走を見ておりましたが、皆同じ順位の旗の下に並んでおりました。遅れた子供が可哀そうだからそのようにしているのだなと思いましたが、逆に今から頑張る心を剝ぎ取ってしまい、「やってもやらなくても同じ」をこのような時期から植え付けているのかなと思いました。
真の平等とは何か、頑張った者が頑張った分だけの恩恵を受ける、頑張らなくても頑張った人と同じ恩恵を受けるのは変だと思いませんか?やがて受験戦争に巻き込まれた時に勝者、敗者に分けられてしまう。中学受験は私立中学受験に失敗しても公立の中学生になれる、高校受験も少子化でキャパが余っているから受験に失敗しても高校生になれる。しかし、その先が大変、どんどん格差がついてしまう、日本国内だけの話なら構わないけど、国際間の話になると日本人は負けてしまう。食糧危機にも勝てず、惨めな国民となってしまうかも知れない。2035年頃にはインドにも抜かれてしまうでしょう。もっと競争力を身に着けた国民になって欲しいです。

いじめと体罰

いじめる人といじめられる人、体罰を与える人と体罰を受ける人、イジメる事、体罰を与える事、これは良くないことに決まっている。しかし、イジメられる人、体罰を受ける人にも何か原因があるのではないか?
高度の動物、弱いものほど群れを作る、その群れに合わない者、付いていけない者が弾かれる、自然界では死に繋がる、人は自分に合う群れを探す、合う群れが見つからなければ、はぐれ者です。人間は食物連鎖の頂点にいます。弱い者を食(供養)して生きています。この地球上の生物は大なり小なり弱い者の上に立って生きています。この自然の法則こそがイジメの素地ではないかと思います。最近の子供はイジメられるとすぐに自殺につながる、死ぬ勇気があるのだから、心を強くして向って行くことを教えてあげれば、その子は変われると思いますけど・・・この世に命を授かった物は生きる努力をしなければならない、楽だからと言って生きることから逃げてはいけない事を周りの人は教えなくてはいけないと思います。優しく保護をすることだけが全てではないと思います。
体罰についてはイジメと少し違うように思います。イジメは単純に弱い者に攻撃を与える、体罰は指導者による指導的な部分が有ると思います。指導を受けた者が叩かれて体罰と感じたらこれは体罰です。指導をする者と指導を受ける者の意思疎通が出来ていません、指導を受ける者にとって体罰は余計な指導であり、迷惑な事でしかありません。同じ体罰でも愛情をもって行う場合は指導と感じてもらえると思います。感情に任せて行う指導はただの暴力でしかありません。情熱が時には行き過ぎた暴力に成りかねないので注意が必要と思います。そして指導に大事なものは展望をもって育てることが大事と思います。それにしても最近の保護者は問題が有れば指導者、学校と話し合うことはせずいきなりその上だもんね、これじゃー現場はメタメタだよね・・・   余計なことはせず、静かにしている方が賢いよね、誰も指導をやらなくなったら未来はないね、ウ~、さみしい。


いただきます!

少年剣道の合宿で食事の際、いただきますと大声での合唱、ほほえましい光景です。指導者は何に対しての頂きますなのか子供たちに教えているのかな?頂きますとは貰うと言う事で、ありがとうの意味ではないと思います。私は過去に寺の住職から供養と言う言葉の意味を教えていただきました。供養とは字の如く共に養う事で、この世は全て自分が生きるために他の生命体を頂いて生きている、小さいもの、弱いものは食され、大きいもの、強いものは命を養える、小さいもの、弱い者にとって、大事な命を奪われたくはないです、しかし、この自然の摂理は、この世では変えられません。ならば、せめてその命を無駄にしないように頂くことが大事ではないでしょうか。最近ではバラエティー番組で大食いの番組がよくありますが、そのような番組を楽しく見る気に私はなれない、命を提供した食材、それを料理してくれる賄さん、配膳をしてくれた仲居さん、全てに感謝していただきますと言いたい。私も少し太り気味なので、無駄食いに注意しよう。



マナー
私は早朝、代々木公園を歩いております。 とにかく汚い、道端に飲みかけの瓶、缶、ペットボトル、スナック菓子の袋・・・
そばにゴミ箱が有るにもかかわらずその場に置いて行ってしまう。大体、若い男女のグループがだらしないように見える。最近の女は一言「かたそうよ」と良い子ぶって言わないのかな?当たり前の事が出来ない哀れな青年たちよ、子供の時に教えてもらえなかった世の中(学校、親、世間)が悪いんだよね! ん・・親も出来ない? 笑うしかない、へへへ


少年剣道
今さらながら剣道って子供に何を教えるのか・・・ 相手に勝つ為、どうすれば勝てるか、色々なパターンを想定しながら対処法を考える、騙し討(打)ち、当て逃げ、それはゲームセンターのもぐら叩きの世界。本来、剣道とは刀で相手と対峙し、威嚇又は殺しあうためのもの、お互いに刀を抜いて間をじりじりと詰めていく間の心の葛藤をどちらが強いかの勝負、気持の負けた方が頭を下げて、参った、または、刀を捨てて逃げてしまう、木刀での打ち合いも、打たれたら大怪我をするから形が生まれたので・・・真剣で試合に挑んだ場合は、はたして竹刀の様に一足一刀の間から捨てきって飛べるだろうか?騙し討ちが出来るだろうか?危なくてそんな危険なことはできない、では、試合とは何を試しあうのか、心の強さ、向って行く精神力、集中力の持続、どちらが優れているかを競い合う、己の心、修練に耐えうる肉体、機を見て捨てきって打ち込む勇気、集中力と気力を養う為の修行ではないですか? 少年剣道はある程度勝つ面白さがなければ、剣道に興味を持ってもらえない、運動神経の良い子、器用な子にある程度小手先の打ちを教えれば勝ち上がるけど、大人になれば通用しない、不器用な子でも継続して練習をする事で、大人になれば器用な子よりも昇段が早い。うまく出来ているもんです。要は相手と叩き合いではなく、如何に己の精神に勝てる子にするかが目的ではないかと思います。やがて迎える受験戦争、剣道の試合と同じく自分の力で戦わなければなりません。周りでいくらギャーギャー騒いでも、一番プレッシャーを感じているのは子供本人です、親が代わりに受験をすることはできないのです。子供を信じて応援をするしかないのです。
皆さん、子供の為に焦らず、騒がず、自分自身を強く、頑張りましょう。